ハルに風邪ひいた

駆け出し宇宙工学者が気が向いたときに書く方のブログ

のっぺらぼうさん、読んでよ

 

プロフィール写真を登録していない人がこわい。正確には、プロフィール写真を登録していない時に出てくる、のっぺらぼうみたいな丸い頭の人がこわい。

 

のっぺらぼうは、何を考えているか分からない。

「久保さん、こちらの講習会の受講期限が過ぎております。」

「日程調整、まだご回答されていないようなのでお早めにご対応ください。」

「お忙しいところ恐縮ですが、」

「至急、勤務時間の登録をお願いいたします。」

のっぺらぼうは、いつも丁寧な言葉を使う。けれどこわい。何を考えているか分からない。「何卒どうぞよろしくお願いいたします」なんて言いながら、「くたばれ小僧地獄へ落ちろ」と思われているかもしれない。

 

だから、プロフィール写真を登録していない人とメールする時、いつもその人の名前をGoogleに入れてまず顔写真を調べてしまう。そうすると、その人の学生時代の部員紹介ページとか、ウェブコラムに載った小さな顔写真とか、そういうものが出てきて少し安心する。ああ、良かった。のっぺらぼうじゃなかった。ちゃんと人間だった。そうしてようやく、落ち着いてメールのやり取りができる。ネトストみたいで良くないと思いながら、しかし、やらないと落ち着いて仕事ができない。

 

のっぺらぼうがこわいから、僕は仕事を人に頼むことができない。こんなことを頼んだら嫌がられるだろうか、貴重な時間を奪ってしまわないだろうか、ここはまず自分で一旦動いてみてから話を振ったほうが良いんじゃないだろうか。そうして一人でバタバタと焦って動いて、いつも失敗する。空回りして、結局余計な手間をかけてしまう。全部のっぺらぼうのせいだと思う。

 

今月末、出版社から初めて本を出すことになった。大学4年生でこのブログを始めてから、6年が経った。6年間文章を書き続けてきたけれど、読者はほとんどのっぺらぼうだった。のっぺらぼうは気まぐれに「いいね」を押してくれる。けれど、何が良かったのかは決して教えてくれない。

 

それなのに、たまに会うとのっぺらぼうは人間の顔をしている。そうして、面白い文章書いてるね、ブログ読んだよ、すごいね、と言ってくれる。「いいね」は毎回10ぐらいしか付かないのに、100人ぐらいに言われる。1000人ぐらいにこっそり読まれている。だからこわい。何を考えているか分からない。読んだのに「いいね」を押さないということはつまり、「自己満でメンヘラみたいな文章書いて何が楽しいんだよバーカ」とか思われているかもしれない。

 

初版の部数が決まった。びっくりする数だった。僕一人だけでは、絶対に売り切ることができない数だった。こわかった。のっぺらぼうは気まぐれだから、買ってくれるか分からない。何を考えているか分からない。のっぺらぼうから見れば、僕もまた大勢ののっぺらぼうの一人でしかなくて、そんなのっぺらぼうが書いた文章に興味を持ってくれるか分からない。

 

どうしよう。いろんな人に頼まなければ、のっぺらぼうにたくさんお願いしなければ、絶対に売り切ることができない。重版なんてどうすればかかるのか、皆目見当もつかない。けれど、のっぺらぼうに仕事を頼むのはこわい。それは契約の範囲外だからできません、とか言われるかもしれない。あなたにとっては人生をかけた一冊かもしれませんが、我々にとってはたくさん刊行される書籍の一つに過ぎません、とか言われるかもしれない。

 

焦る。焦って動く。そうして一人でバタバタと焦って動いて、今日もまた失敗した。空回りして、結局余計な手間をかけてしまった。僕はいつもそうだ。そうだった。メールをした相手のプロフィール写真は登録されていなくて、のっぺらぼうだった。何を考えているか分からなくて、こわかった。

 

のっぺらぼうな友達と、夜に電話をした。正確には、10年近く会っていないので、どんな顔でどんな話し方だったか忘れてしまった人だった。約束の時間になって、のっぺらぼうから着信が来て、電話を取って僕がカメラをオンにすると「ああ、ビデオ通話にするか、ちょっと待って」とのっぺらぼうは言った。ガサゴソと何かを片付ける音がして、そうして、のっぺらぼうのカメラがオンになった。懐かしい顔だった。見たことのある顔だった。同じ高校時代を過ごした友人だった。彼は、のっぺらぼうではなかった。

 

「媚びを売ったらあかんで」

と彼は言った。

「読者は、作者の独自の世界観を求めてるんやから、ヘコヘコしたらあかんで」

と言った。

 

彼も、二年前に自費で書籍を出版したのだった。だから僕の気持ちを、のっぺらぼうに本を買ってもらえるか不安な気持ちを、よく分かってくれるのだった。

 

「売れてもそりゃあ、めでたいけどな」

「売れんくても、それがお前の人生を否定することじゃないし」

「だって、時代の流れに抗うことをしてるわけやんか」

「それでも俺ら、表現しようとしてるんやんか」

 

そうだった。そういえば僕は、表現者なのだった。そういえば僕は、僕に時間を使ってくれた人に対して、申し訳ないと思わなくていいのだった。作品を通して良い時間を提供してあげられたことに、胸を張っていいのだった。その対価として、お金をもらってもいいのだった。お金をもらってもいいと判断されたから、出版社が投資をしてくれたのだった。のっぺらぼうを、こわがらなくていいのだった。

 

だからそう、のっぺらぼうさん、読んでよ。読んでみなよ、面白いから。

 

僕は宇宙工学の研究をやっていて、だけど、論文じゃなくてエッセイを書いたんだ。科学を面白く解説することは僕じゃなくてもできるけど、僕にしか書けない言葉を書いたんだ。面白いよ。別に読みたくなかったらいいけど、のっぺらぼうさんの人生を変える本かもしれないよ。のっぺらぼうさんが学生だったら、君の将来の進路を変える本かもしれないよ。のっぺらぼうの親御さん、お子さんの人生を変える本かもしれないよ。別にいいけどね。興味なかったらいいんだけど。のっぺらぼうさんの人生が変わっても変わらなくても、僕は構わず表現を続けるからいいんだけど。一応、本の宣伝貼っとくね。

 

www.ohtabooks.com

灰、そのきめ細やかさ

 

うたた寝から醒めると、世界はうらがえっていた。

 

そう、その日は生まれて初めて線香を人から頂いたのだった、ので、ライターを買いに行くことにした。ファミリーマートにした。多分電池とかが売っているコーナーとか、普段の買い物では立ち寄らない場所に置いてあるのだろうと思って探してみるけれど、無い、あれ、ファミリーマートはライターを売らないのか、と思って帰ろうとしたら、レジのところにめちゃくちゃたくさん置いてあった。毎日見ているレジなのに、毎日律儀に見逃していたらしい。生まれて初めて、ライターを買う。

 

筆箱に入っていた消しゴムをはさみで半分切って、真ん中にぐりぐり細い穴をあけて線香を立ててみた。灰は、ごみ箱に捨ててあったマウントレーニアの蓋でとりあえず受けてみる。先端をライターで炙ると、こころもとなく、それは始まった。よく目視できないけれど、どうやら灯ったらしい。寝起きの背伸びをするように、そうして血流がからだを一斉に巡るように、灯りが芯全体に広がっていく。

 

たとえば、もう二度と会うこともできないのだろうと思っていた人が突然目の前に戻ってきた日、僕はとっても嬉しくて、なのにとっても悲しくて、少しだけ憎らしかった。それだけあの二年間は寂しくて、切実で、いじけることしかできていなかったのだろう。だから、彼女と二年ぶりに言葉を交わしたその日も、世界がうらがえったような感じがしたのだった。

 

マウントレーニアの蓋には、ストローを挿すための穴がある。その穴に灰が落ちるといけないので穴とは反対側の方に消しゴムを寄せていたら、今度は落ちた灰が蓋からはみ出してしまった。寄せすぎた。机の上にこぼれた灰を拾おうと指に押し当ててみると、それは、これまでの人生で触ってきたものの中で断トツできめ細やかな手触りだった。なんだこれは。触った感覚がぜんぜん無い。なのに指にあり得んへばりついている。蓋に落とそうと指を擦ってみても、粒子の塊が際限なく分裂してまとわりついてきて、指先がシャカシャカにコーティングされてしまう。細長いドッグフードぐらいの手触りを期待してたのに。崩れきった粒子のひとつひとつは粒と認識できないほど細かかった。

 

たとえば、線香を人生とするならば、灰は過ぎ去った日々だ。それは、大雑把に認識すれば一つの塊のようであって、触れてみればこんなにもきめ細やかな体験で出来上がっている。そういえば、過去の解像度を上げるという話を昼間に聞いた。何を言っているのかあんまり分からなかったけれど、灰のことを言っていたのかもしれない。

 

世界がうらがえったあの日、彼女とは過ぎた日々のことを話した。彼女の口から、幸せではなかった日々のことを、初めて聞いた。僕は、過去の意味は自分で与え直せるものだ、というようなことを彼女に言った。それは本心で、心から納得してそう言ったんだけれど、だから嘘ではないけれど、そんなこと、偉そうに言ってしまう自分のことが今になって嫌になったりする。そんなの、彼女にまた好かれたいと思って口走っているだけなんじゃないのか。自分でもそんなかっこいい生き方、ロクにできていないくせに。だって過去は、こんなにもきめ細やかなのだ。触れればこんなにも執拗にへばりついてくるものだ。いくら擦り落としたって、それでもまとわりついてくる、リアルな体験だ。そのリアルを、理性を以て大雑把にまとめて処理してしまえ、と言ってしまうことはどれほど無責任なことだろう。言ってしまえたことは、どれほど短絡的だっただろう。

 

部屋の蛍光灯を消してみると、こころもとなかった線香の灯りが煌々と輝いて見えた。夜の方が生きている実感がするのは、そのせいなんだと思う。そうしてまた蛍光灯を点け直すと、今度は煙のゆらめきがはっきりと見えるようになった。線香の煙も、気体のように見えて実は細かい固体の粒子なんだと思う。光が当たると、その細かい粒子によってミー散乱されて、散乱光が目に届くから見えるのだと思う。だから、線香の匂いは何か目に見えないオーラみたいなものを感じているのではなくて、鼻の中に入ってきた固体粒子が嗅神経と反応しているのだと思う。現実だと思う。だから、線香が燃えるとき、人生が過ぎるときに失われていくものは、決してオーラみたいな曖昧なものではなくて、質量を持った実体なんだと思う。五本目の線香が、ちょうど燃え終わる。時間が過ぎて失われていく実体が、確かにある。そういう焦りがある。だから、今度会う時は、できるだけゆっくりと話を聞きたい。短絡的にまとめようとせず、時間をかけて向き合いたい。僕も、色んなことを話したいと思う。

 

陽が昇ろうとしている。始発の電車が発車しようとしている。線香を挿していた消しゴムの穴の縁が、焦げて黒くなっている。消しゴムが燃えて出た変な煙も、少し吸ってしまったかもしれない。あの日世界がうらがえって、また今日もうらがえったなら、きっと世界は元通りなのだろう。マウントレーニアの蓋は灰まみれになっていて、ストローを挿すための穴からは今にもその灰がこぼれようとしていた。

T☆A☆N☆K☆A☆2

8個だけ短歌を作った。

ただ、それだけです。

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レムの間のあなたがやさしいやわ肌のオートミールを噛みしめてゆく

 

 

 

 

 

 

 

立ち漕ぎのウーバーイーツの加速度がウーバーイーツに運ばれてゆく

 

 

 

 

 

 

 

うん、ほんとありがとね、またLINEする、4.2秒、真顔に戻る(以下、繰り返し)

 

 

 

 

 

 

 

在るだけでありたい僕のアパートのチラシを捨てるためだけの箱

 

 

 

 

 

 

 

咳をしたからなのかな一人

 

 

 

 

 

 

 

海苔巻きは喪服のようで当分は死ぬ予定などない人が巻く

 

 

 

 

 

 

 

愛したら愛してほしい国道のマクドナルドがスマイルを売る

 

 

 

 

 

 

 

死んだって星になれないこの街の夜空のために輝くファミマ

 

 

 

 

 

 

 

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8個だけだってば。

T☆A☆N☆K☆A

久しぶりに、最近作った短歌をちょっとだけ並べてみる。

ただそれだけの回です。

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ゴミを出すこともマスクをすることも忘れて花を踏みつけること

 

 

 

 

 

 

 

しあわせはいじわるだからスシローの待合席が殺意で満ちる

 

 

 

 

 

 

 

日には日に水には水に庭に陽は差す息継ぎを習う日の朝

 

 

 

 

 

 

 

会いたい、が言えない朝にアサガオはフェードアウトでくたばってゆく

 

 

 

 

 

 

 

「真水だね」「真水だね」髪、揺れるときリズムをずらす風になりたい

 

 

 

 

 

 

 

ラスボスを倒してもGAME OVERと言われるゲームのようにぼくたち

 

 

 

 

 

 

 

箸置きは気休めだろう
三日月は幻覚だろう
恋は空箱

 

 

 

 

 

 

 

おめでとう、今日の一位はおうし座です
ラッキーカラーは地獄の緑

 

 

 

 

 

 

 

瞳孔を開くことからはじめよう夜景の見える絞首刑台

 

 

 

 

 

 

 

しょうゆ派を譲らなかったあの時の水かけ論の水になりたい

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫、生きて腸まで呪うから
人には人のDead or Alive

 

 

 

 

 

 

 

木漏れ日が死ぬほどうざいお昼にはきみも孤独でありますように

 

 

 

 

 

 

 

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これだけの回ですわよ。