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満たさずに、空洞

先日、表参道で奥山由之の写真展『君の住む街』を見てきた。今回の作品展は雑誌『EYE SCREAM』で組まれていた連載を再構成したものらしく、移ろいゆく東京の街並みを舞台に、今を時めく女優総勢35人の写真が並べられていた。なんでも全てポラロイドカメラで撮られたものらしく、まるで時間軸が溶け出したかのような独特の色味が印象的だった。

とまあ知ったように書いているのだが、実のところ写真展はあまり行ったことがなくて、実際に作品を観ている間も写真という表現自体の良さはよく分からないままだった。もちろん記録媒体としては非常に優れているけれども、その反面どうしても現実の世界をそのまま切り取るところからは抜け出せないので、絵画などよりも作者の表現が画面上に表れにくい気がしてしまうのだった。ひととおり観終わったあともモヤモヤしていたが、家に帰ってきてから今回の作品展についての奥山のインタビュー記事を読んでようやく納得がいった。

こちらがお願いした行動や表情の頂点に達したとき、人は目的を達成した故のになってしまって、それで終わり、固まるといったイメージになるんですね。そのを外れたの部分にこそ、人間らしさが出る。そこをとらえているかとらえていないかが、表現であるか否かだと思っています。もっというと写真であるか画像であるかの違いでもあると思います。*1

何かが完成してしまう前の中途半端で曖昧な瞬間を、そのままの形でつかまえる。なにものでもなくて、なにものでもある、そんな状態を丸ごと全部肯定してしまうのが「写真」なのである。

 

 

 

 

思い出すことがある。高校の頃、父にもらった言葉。

その時期は、勉強も部活も人間関係も、色んなことがなんとなくうまく回らなくなっていた頃だった。特に大きな失敗や挫折があったわけでもないのだが、何からどう手を打てばいいか分からず、そうしている間に状況はどんどん悪くなってしまった。自分で言うのもなんだが中学までは勉強も部活も人間関係も大体うまくいっていて、それを拠り所にして生きていた節があったので、急にその足場を失った僕は自分が何者であるのかよく分からなくなっていたのだった。

そんなある日、いつも通り父親が一人晩酌をしていて、父親と向かい合う形で僕はカレーを食べていた。父は(世の中のおやじの多分に漏れず)酔うと「お前ももう高校生かー、早いなあ」を連発するので僕はいつものように適当に返事をしていたのだけれど、ふいに父が「お前も兄ちゃんも立派に育ってくれて、本当に自慢の息子だよ」とこぼしたのだった。自分自身の価値として誇っていたものをすべて失って、自分の存在価値すら見出せなくなっていた情けない僕をそれでも受け入れて、存在ごと全て肯定してくれたその言葉は当時の僕には信じられなかった。その愛情が一体どこからやってくるのかよく分からなかった。よく分からないまま、ぽたぽたと落ちる涙で同じくよく分からない味になったカレーを僕はかきこんだのだった。

 

 

 

思い出すことがある。大学3年の頃、劇団の同期が語った言葉。

引退公演で作・演出を務めた彼女が終演後、劇団のブログで語った言葉だ。彼女は自らが作り上げたこの公演にはなんの意味も価値もなかったのだ、と言い放ったあとこう続けた。

意味も価値もなかったけれど そこには何かがありました その何かが何かはわかりません わからない わからないけれどわかったふりをしないぞ 無理やり名前をつけて扱いやすいものにはしないぞ わかったふりは楽だけど わからないままに抱きしめる強さを手に入れたい きっと意味より価値より大事でキラキラした何かです 一生忘れられない何かです なんだろうなあ わからないなあ*2

 

 

 

思い出すことがある。つい最近見た動画で、エレファントカシマシのボーカル宮本浩次が言っていた言葉。

動画は三年半ほど前に彼らが音楽番組に出演した際のトーク映像で、トーク中盤宮本が20129月に急性感音難聴になった話題が振られた。その中で宮本は入院中に左耳が聞こえない状態で散歩をしに行った時のことについてこう語っていた。

サラリーマンのみんながこうちょうどね、蕎麦屋で一杯やってんすよ。はあー、かっこいいーって。なんてキラキラしてるんだ、って。あの、羨ましくなっちゃって。そういうのは感じました。それからこう、みんなね、電車の中でパン食べちゃったりとかしてる人がいて、あんまり感じよくなさそうに感じるでしょ。でもね、ああー、パン食ってるよ、うあーかっこいい、みたいな。*3

 

 

 

 

 

僕は結局よく分からないのだ。全部よく分からないのだ。いつの間にか生きていて、いつの間にか言葉を話して、いつか必ず死ぬのだと言われて、よく分からないのだ。帰り道の電車の中のなんとなく空っぽな感じも、夕方の空の青紫色の危うい感じも、素晴らしい芸術がもたらす突き抜ける感じも、なにもかもよく分からないのだ。それでも、全て肯定するのである。日々どうしようもなく積み上げていく生活は決して完成することなく続いていくけれども、それを楽に扱おうとするのではなく、中途半端で曖昧なまま受け入れるのである。それはきっと意味も価値もないけれども、キラキラとしているのである。

 

 

 

 

 

  

時計を見たらもう朝の5時である。久しぶりに遅くまで書いてしまった。てかもうほとんど徹夜じゃないか。眠い。やばい、空明るい。そして明日は(てか今日じゃん)午前中から授業だ。いっそのことサボって昼まで寝ていたいけれども、よりにもよって課題提出日だから休むわけにはいかない。なんてこった。

あー、さっそく丸ごと全部否定したいよ。

香るカオスと午前23時

23日になった。23歳になった。

昨晩考え事をしながらぼーっと風呂に入っていて、気が付いたら23歳になっていた。風呂には時計もないので特に実感もなく一つ歳を取ってしまったわけだが、自分が生まれた日を生まれたままの姿で迎えるというのもまあ悪くないかな、ということにしておく。

ありがたいことに既に数人の友人からお祝いの言葉をもらった。僕が人の誕生日を全くといっていいほど覚えないので(先日も母親の誕生日をすっぽかして拗ねられた)、律儀にお祝いしてくれる人がいてくれるのは本当にありがたいことだなあ、と思う。どうもありがとうございます。

 

 

 

 

 

ここ一ヶ月ほど何も書いていなかったので、「あいつもうブログ飽きやがったな」と思われているかもしれないが意外とそうでもなくて、むしろ毎日毎日何を書こうか忙しく考えているのである。実際風呂の間も一時間半ほど浴槽に浸かって指がふにゃふにゃになるぐらいには色々と考えていた。書くことはほとんど無限にあるのだ。じゃあ何か書けよと言いたいところだが、残念ながら今は脳みそがカオティック状態で、器用にまとめるほど整理できていない。この一ヶ月はせわしないことに別れの季節であったり出会いの季節であったりしたので、色んな思考のタネが脳に入力されて、それらをなんとか体系づけて捕まえてやろうと、ああでもない、こうでもない、ああいうことだろうか、いやこういうことだろうかと考えるけれども思考はどんどん膨張するばかりで、結果考えれば考えるほどさらに取っ散らかってしまうのだ。これはもう仕方がない。仕方がないというか、もうこれって宇宙だ。ビッグバンが起こって、インフレーションなるカオティック状態に突入して、宇宙はどんどん膨張していく。宇宙全体の質量が臨界値より大きければやがて膨張は止まってまた一点に収縮していくし、質量が足りなければいつまでも膨張は止まらず、銀河はてんでんばらばらで死んでいく。ただ宇宙と違って脳みそが厄介なのは、質量があれば勝手に万有引力が働くわけではなくて、「考える」という外力を作用させないと個々のタネは相互作用しないということだ。どんどん入力されてくるタネを放っておいても結局死んでしまうのだ。というわけで考える。考えながら相互作用を増やしていって、ある時点で臨界値に達すれば突然思考がまとまっていくのだろう。

というわけでしばらくはまた何も書かないかもしれない。

 

 

 

 

 

ところで脳みそが宇宙なのだとすると、もしかしたら僕らがいるこの広大な宇宙も超巨大な生き物の脳みその一部だったりするんじゃないかと思う。「そんなの、その生き物がマキシマムザホルモン聴いてヘドバンでもしたら銀河級の大地震が起こっちゃうじゃないか」と言われるかもしれないが、相対性理論によれば時間の感じ方は人によって違うので、そいつがヘドバン一回する間に宇宙が丸ごと一つ生まれたり死んだりするなんてことも説明できるんじゃなかろうか。実際、巨大質量のブラックホールに落ちている人から見たら、外の世界って何億倍も速いスピードで過ぎていくように見えるらしいよ。いや落ちたことないから分からないけどさ。そしたら逆のことも言えるかもしれなくて、僕らの脳とか体の細胞一つ一つも実はその内部で確認できないほど小さな生き物たちがものすごいスピードで生活してたりするんじゃなかろうか。そう思うとなんだか自分の細胞一つ一つにも愛着が湧いてくる気がする。バカバカしい説だと思うかもしれないが、人間はもともと一つの細胞で、それがだんだん細胞分裂していつの間にかこんなに大きな生き物になるなんていう説明の方が僕にはよっぽど実感が持てないので、こういう説もあっていいと思う。

 

 

 

 

 

さて案の定今日もまた順調に思考が取っ散らかった。お昼ご飯はセブンイレブンのケーキでも買って密かに生誕祭をやろうと思う。

迷えるラム肉たち

インド旅行に行ってきた。友人二人とともに二週間ほど北インドと南インドの数か所を見てまわり、昨日帰ってきた。初日にいきなりお金をぼったくられたり、自分たちで雇ったはずのタクシー運転手から逃げるはめになったり、インド人と列車の席交渉で大混乱になったり、狂犬病かもしれない野良犬に全速力で追いかけられたり、まあ振り返ってみると数々のトラブルがあった。ただ、空港でWi-Fiをレンタルしていたおかげで困ったら何でもネットで調べられたのとGPSで常に現在地は確認できたのとで、特に飛行機に乗り遅れたり迷子になったりすることもなく、全体的には安全な旅だったなあと思う。そういう物が一切なかった時代の旅行者たちは全て自力でこなしていたと思うと、こりゃすごいな。

 

インドは汚かった。みんなゴミを道に捨てるし、道端に牛がたくさんいるから糞がいっぱい落ちているし、道路が整備されていないから砂埃が舞って店の商品が砂まみれだった。インドはカオスだった。列には全く並ぶ気が無いし、交通ルールはただ一つ「ぶつからなければOK」という精神で運転するし、なんならちょっとぶつかってたから「壊れなければOK」だった。インドは貧しかった。駅や観光地など人の集まるところには物乞いがたくさんいるし、タクシーで路地に入ると子供たちが数人でとおせんぼしてお金を要求してきた。そんな状況で、インド人は生きていた。当然のように生きていた。当然であり、それはとても自然に見えた。人間がいて動物がいて、あまりにもリアルに、そして力強く彼らは生きているのだった。そんな彼らを見ていると『あれ、自分はいまどこにいるんだ?』と思ってしまう。汚いって何だ、カオスって何だ、貧しいって何だ、幸せって何だ。僕の基準の方が実は異常で、彼らの方が普通なんじゃないか。僕は今どこにいるんだ。世界の中でどういう位置づけにいるんだ。そんなことを考えながら、考え疲れて、気付いたら日本に帰ってきていた。結局自分の現在地は分からないままである。あんなにGPSを駆使して無事に帰ってこられたというのに、やっぱり迷子である。

 

 

 

自宅に帰ってくると、当たり前だが出発した時のまんまの(汚い)部屋だった。所属していた劇団の引退公演が終わった翌日にインドに飛び立ったので、机の上には差し入れやら衣装やらが置きっぱなしになっていた。そうか、そういえば劇団を引退していたのだった。大学四年間、自己紹介のときにはとりあえず「演劇やっています」って言っておけばよかったのだけれど、気付いたらもうそれも言えなくなっていた。僕は四月からなんて自己紹介すればいいんだろう。「えーっと……休みの日はYoutube見たりギターを弾いたりとかですかね……あ、いや特にバンドとかやってるわけでもなくてその……はい、まあ何もしてないですね……」

 

やっぱり迷子である。

ダースベイダーの一族

部屋が汚い。片付けがとても苦手だ。

いま数秒見回しただけでも数十個のペットボトルと空き缶がキッチンに積んであるのと、コンビニのパスタの容器が床に落ちているのが確認できた。冷蔵庫の中で半年近く放置した大根が変わり果てた姿(里芋のようなフォルム)で横たわっているのも知っているが、とりあえずはそっとしている。家にアリさんが大量発生し、ポテトチップスでおびき寄せながら巣を特定したのもつい最近の話だ。大学一年の頃に自宅のベッドの下から焼きししゃもが発見され、しばらく僕の家が「釣り堀」と呼ばれていたのも今となってはいい思い出(ということにしたい)。

でも、そもそも統計力学エントロピー増大則を考えれば、あらゆるものがきちんと整理された状態なんてのは系として不安定に決まっているわけで、逆にあらゆるものが乱雑に置かれている方が状態として自然なはずだ。だから綺麗好きな人の方がこの宇宙では異常な存在なんだ!僕はなんにも悪くない!

 

 

 

 

 

 

「僕ら人間って何のために生きていると思います?」

大学一年の生命科学の講義で、教授が突然こう問いかけた。急に飛んできたまさかの哲学的問いに対して理系学生たちが沈黙を決め込む中、教授は少し置いてこう続けた。

「宇宙をなるべく早く滅ぼすためです。」

ダースベイダーかお前は、と言わんばかりの回答に当然学生一同唖然としていたわけだが、彼はいたって冷静に続けた。例のエントロピー増大則によれば、放っておけばこの宇宙はどんどん無秩序でバラバラな状態に向かっていく。その宇宙にわざわざ生命体という秩序を持った存在が生まれたのは一見矛盾しているように見えるけれども、あえて生命体という秩序を間に挟むことで宇宙はさらに無秩序に向かうことができるので結果的にはむしろ合理的だというのだ。ちょうど瓶の中の水をブチまける時、出口のところに渦という局所的な秩序を発生させた方がむしろ早く水をブチまけられるのと同じ構造である。僕らが生命体として秩序だっているほど、周りの世界は無秩序になっていく。宇宙レベルで見れば、僕ら人間を含めた生命体はせっせと宇宙を崩壊へ導くための存在でしかないのだ。

 

 

大学構内を歩きながら、たまに意識して建物を見ると、なんて秩序だっていて美しい建物なんだ、と思うことがある。いや、正確には美しすぎて嫌悪感を抱いてしまう。どれも寸分狂わぬ直線と直角たちで構成されていて、そこにはもうほとんど無駄が無い。それを改めて認識した途端、あれれ、何百年か前はここには木や草しかなくて直線なんか一本も無かったはずなのに、なんで今こんなに直線だらけになっているんだ?と脳みそがびっくりして、混乱して、そんなことを考えながら研究室に戻ると、今度は本棚に専門書が隙間なく真っすぐ並べられていて、またもや無数の直線と直角たちが脳に追い打ちをかけてくる。どうやら周りの世界が秩序だっていると、むしろ僕の脳みそはどんどん無秩序になってしまうようである。

 

 

人間は世界を無秩序にするために生命としての秩序を保っていて、ひとたび自分の秩序が保たれると今度は世界まで秩序だてようとするのだけれど、そうするとその秩序だった世界によって結局自分が無秩序になってしまうという、この、皮肉。どうやっても世界か自分のどちらかはいつも無秩序になってしまうのか。そう思うと、僕がこの部屋をなすがままにしているのは、生命体として自分の秩序を保つのには合理的で、やっぱり僕はなんにも悪くない!とたちの悪い確信はがぜん強まった。

マクスウェルの悪魔

数日前、一枚の絵のことを思い出した。高校の頃の行きつけのラーメン屋に飾ってあった一枚の油絵。行きつけといってもお金がなくて仕方なく行っていただけで、正直なところ味はさほど美味しくなく(チャーシューがなぜかチョコレートのような味がする)、店主はいかにもといった感じの不愛想な頑固おやじなので居心地もあまりよくなかったのだが、その油絵だけはなんとなく好きで、他の客がいないときはなるべくその絵の近くに座って見ていた。川に橋が架かっていて、その下を一艘の船が通っており、岸の方にはヨーロッパ風の街並みが見えるといった絵で、まあこれといって別に大した絵ではないのだが、その橋に陽が当たってできた陰と日向の境目に淡い紫色の光の筋が数本差していて、その紫色がなんとも絶妙に淡くてきれいなのだった。水が紫色というと不思議な感じもするが、その時はなんだか妙に納得してしまって、たしかに白色光にはあらゆる色の光が混ざっているんだからそりゃあ紫に光ったっておかしくないよなあ、と思ったのを覚えている。ふとこの絵のことを思い出して、あの紫色をまた見てみたいなあと一瞬思ったのだけれど、よく考えたら毎日見ている陽の光にも、そしてなんなら僕の部屋のこの蛍光灯の光にもあらゆる色の光が含まれているはずで、あの紫色もきっと含まれていて、だから本当は毎日あの紫色は僕の目に入ってきているんだなあ、と思った。

 

 

似たようなことを一年ほど前にも思ったことがある。上野の東京都美術館の『モネ展』を観に行った時だ。高校の頃からモネの絵は好きで、世界史の資料集に載っている絵をたまにじーっと見ていた。念願の本物のモネの絵が観られるということで非常に期待して観に行ったのだが、その期待を大きく上回る展示だった。有名なサン=ラザール駅の絵や睡蓮の連作をはじめとして、あまりにも鮮やかで繊細なタッチの絵の連続に終始興奮しっぱなしだった。中でも圧巻だったのが、晩年の作品。『バラの小道』や『日本風の太鼓橋』などのモティーフが、見たこともないぐらい鮮烈な赤で繰り返し描かれ、それはそれはものすごい迫力だった。解説を見て驚いたのだが、なんと晩年の彼は白内障を患っており、ほとんど視力を失っていたそうだ。数回の手術を受けてからは幾分か回復したらしいが、実際にどれほど色を識別できていたのかはよく分かっていない。とすると彼はもしかしたらほとんど真っ白に濁った景色を目の前にしながらあの鮮烈な赤を描き出していたのかもしれなくて、そう思うと自分はこんなにはっきりと世界を見ておきながら、そこにあるほとんどの色を見逃して生きているような気がしてしまった。展示室を出て、さっきは何とも思わずに通り過ぎた景色を前に、果たしてモネはこの景色をどんな色で描くのだろう、と考えた。コンクリートがあって、木があって、自動販売機があって、人が歩いていて、それらを陽の光が照らしていて。何の変哲もない景色に思えるけれども、そこにはやはりあらゆる色が含まれているはずで、きっとモネが描いたあの鮮烈な赤もたしかに存在しているはずなのだ。

 

 

毎日毎日僕の目にはありとあらゆる色が飛び込んできているのに、そこにあるはずの絶妙な紫や鮮烈な赤をどうしても見逃してしまう。それは、目の前の人間をなんとなく見ているだけではその人の魅力を全然知れないことにも似ていると思う。先日の追い出しコンパでも、劇団同期と朝まで酒の勢いで色々なことを話したのだが、聞く話どれもが初めて知ることばかりだった。座右の銘が何だとか、劇団を辞める時に何を考えていたかとか、この先の人生で何をやりたいかとか、どれも僕が全然考えたことない話でとても魅力的だった。劇団にいた頃、あんなにずっと同期のことを見ていたつもりだったのに、僕はその人が何を考えているのか全然知らない。見ているつもりでも当時どこかで「あの人はああいう人だ」と処理していた節が少なからずあったのだろう。話してみればみんな様々な経験とそれに対する考えを持っているはずで、そのどれもが僕にとってすごく魅力的で、言ってみればもうみんな魅力の塊みたいな存在なのに、その塊をただ見ているだけでは何にも気付けないのだ。白色光を分解すれば虹色で、だから僕はいつでも虹を見ているはずなのに、それを一遍に目に入れてしまえば何にも気付けないのだ。それはなんだか悲しいことだ。

 

 

 

 

そういえば大学一年の頃、劇団の稽古場ブログにこんなことを書いたことがあった。

幸せというのは、家族みんなで遊園地に行って遊ぶことではなくて、家族みんなで遊園地に行って遊んでいる時に服に付いた汚れのことだと思います。

幸せというのは、友達と修学旅行に行くことではなくて、修学旅行に行った時に食べたアイスクリームのコーンのことだと思います。

幸せというのは、好きな人と手をつなぐことではなくて、好きな人と手をつないでいる時に足元に転がっている小石のことだと思います。

 

  

だとすると、うちの玄関に置いてある靴のつま先がペンキで汚れていることも多分幸せです。

 

だから僕の周りは、幸せでいっぱいです。*1

 

僕が生きている世界は幸せで満ちていて、それを毎日受け取っているはずで、でもその幸せを一度に受け取っても何にも気付けなくて、だから、ほんの少しの幸せをひとつずつ積み重ねていくしかないのだ。大学一年の頃から意外にも今と同じようなことを考えていて、もしかしたらとっくの前から分かり切っていることを何度も再確認しているだけなのかもしれないな。

 

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ

なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう*2

 

分かるぜー、ヒロト

 

youtu.be

たとえば兄が死んだら

風邪を引いている。症状自体は大したことないのだが、これが精神的には結構くるものだ。まず、喉の痛みが絶妙に不快で、じわじわと、しかし着実に精神的攻撃を仕掛けてくる。ちょうど耳元で虫の羽音がブンブンするぐらいの不快感を連続的に与えてくるもんだから、一日中蓄積すると相当きつい。さらに、安静にしていようと思って昼間から寝ていると陽に当たる時間が短くなるもんだから気持ちは余計に鬱屈としてくるし、そもそも喉の痛みが気になって眠りは浅くなるし、たとえ眠れたとしても風邪の時はだいたい嫌な夢を見るから寝起きが凄まじく悪い(友達と大喧嘩してそいつに指名手配され、町中を逃げ回るという夢はなかなかつらかった)。そして、後回しにした設計課題のプレッシャーが追い打ちをかけてくる。気づけば二日後に設計試問だ。ああ、もう、全部風邪のせいだ。全部風邪のせいだー!

 

 

幼い頃、風邪を引いたときに決まって見る夢があった。自分が布団の上で冷凍状態のようになっていて、その横たわっている自分を外から眺め続ける夢。オレンジの豆電球だけをつけた薄暗い部屋で、ただ自分を眺め続ける。夢を見ている時間自体は1分も無かったかもしれないが、なぜだか何百年も何千年もずっとそのままの状態でいる気がしてきて、それは僕にとってたまらなく怖い夢だった。正確に覚えていないが、初めて見たのは幼稚園ぐらいの頃だったと思う。もちろん当時は言語化などできておらず、ただその無限のような孤独感に対しての恐怖をなんとなく抱いていただけだったが、今思えば僕が自分の死というものを意識し始めたのはその時だったと思う。

 

 

小学校に上がるときに家族で福岡から兵庫に引っ越したのだが、その数年後に幼稚園の頃の友人が兵庫に遊びに来て、一緒にUSJに行ったことがあった(当時USJができたばかりの頃だった)。昼間はアトラクションに乗ったりご飯を食べたりして夢のような楽しい時間を過ごし、夜になって帰る直前に「ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショー」というショーを観ることになった。簡単に言うと映画に出てくるゾンビ系キャラクターたちが墓場から出てきて、愉快なトークをしながら歌って踊るぜ!というショーで、まあ多分それなりに楽しんでいたのだが、観ている途中でふと「あ、そうか。あれは墓場で、僕もいつか死んであの中に入れられるんだ」ということに直観的に気付いてしまって、夢のような楽しい時間の終わりに訪れたそのあまりの残酷な現実に耐えられず、ショーの途中で泣き出してしまった。もちろん、さっきまであんなに楽しそうだったのに急に泣き出すもんだから母親には心配されて理由を聞かれたが、当時はこんなことを言葉で説明するわけにもいかず、「友達とお別れするのがさみしい」とかとりあえず適当な理由を言ってごまかしたのを覚えている。昼間に何に乗って何を食べたかなんてひとつも覚えていないのに、こういうことだけはやけに鮮明に覚えているのは皮肉なもんだ。

 

 

かれこれ幼稚園の頃から、僕はずっと自分の死というものをたまらなく恐れていて、この歳になってもそれはほとんど変わっていない。と言ってもいつもいつも怖がっているわけではなくて、陽に当たっている時や人と話している時には大体そんなこと忘れているのだけれど、電気を消して布団に入ってなんとなく眠れないなと思っていると、ふとあの時のショーのように「あ、そうか。僕は死ぬんだ」ということを直感的にわかってしまう日がたまに来る。人生のほとんどのことはどうにでもなるけれど、死だけは圧倒的にどうにもならないということにまず気付いて、そもそも僕が見ているこの目線は絶対的な目線ではなく所詮一人の人間のものでしかなくて、だから僕が死んだあとにはこの目線はもう無くなって、それが無くなったことにも気づけなくて、それから何百年も何千年も何千億年もずっと僕は孤独で、孤独であることも分からずただただ存在しなくて、その間に僕とは関係なく人間は生きて、やがて太陽が恒星としての終焉を迎えて地球も無くなってしまって、やっぱりそのことも僕は分からないまま時間は過ぎていくんだな、とか、そういうことを言葉ではなく直観でわかってしまうのだ。そういう時僕は自分の体がどこかへ飛んで行ってしまうような感覚と、大きな黒い塊に吸い込まれるような錯覚に襲われて、わっ!と思わず叫び声を上げて飛び起きてしまう。そこでやっと自分が今生きていることに気付くのだけれど、それでも自分が死ぬという圧倒的な事実はやっぱり変わっていなくて、ただ布団の上でひとり茫然としてしまう。そういう日が数か月に一回とか年に一回ぐらいのペースで訪れる。まあ僕だって「人間はいつか死んで、棺桶に入れられて、焼かれて骨になるんだ」ということはいつでも言葉では理解できるし、それに対して「いつか死ぬから人は幸せに生きるのさ」とか「死んだ後のことはわからないんだから、考えたって仕方ないよ」と言葉で処理することはいくらでもできるのだけれど、言葉ではなく直観で、一瞬で、その事実に気付いてしまった時にはそんな言葉は通用しなくて、ただその圧倒的な事実の前に恐怖するだけだ。幼い頃には、大人になったらきっといつか怖くなくなるんだろうと思っていたけど、いつまで経っても怖いままだし、いまだにオレンジの豆電球をつけているとあの夢を思い出すし、だから多分僕は自分が死ぬその瞬間まで自分の死を恐れながら死ぬんだと思う。

 

 

 

 

 

そういえばこの前大学の食堂でハヤシライスを食べながら、果たして自分がこのブログを書いている目的は何だろう、と考えていた。文字を書いてそれを公開して、たまに反応が返ってくる、というやり取りで承認欲求を満たすという目的もなくはないけれど、それならFacebookで十分だし、Twitterとかでそういう欲を満たそうと思うことは無いから承認欲求だけじゃない気がするんだよなあ、とかあれこれ考えて結局ハヤシライスを食べ終わるまでにははっきりとは分からなかったのだけれど、今思えば僕はほとんど遺書みたいな感覚でこのブログを書いているような気がしている。自分の死がたまらなく怖くて、それはこの瞬間起こるかもしれなくて、そういうことを考えるけど、考えてもどうしようもなくて、だからどうしようもなく言葉を吐き出して、少しでも自分という混沌とした生の一部をこの地球上に残そうとしているような気がする。そう考えると、「ハルに風邪ひいた」ってのはそういうことなんですかね。思いがけず、我ながら一筋通ったブログタイトルかもしれない。

冬の寒さ対策は死んでも教えないぞ

前日に徹夜をぶちかましたせいで今日は15時ぐらいに起きて、起きたら喉が痛くて、なんだかずっとパンクロックが頭で鳴っていて、喉が痛いのに歌って、歌っていたらお腹が空いて、コンビニに行って、たくさん品物が置いてあって、買いたくもないものが欲しい気がして、とりあえずご飯を買って、帰って、食べて、食べてる途中でまた歌って、食べ終わって、文字を書こうとしたけど何も書けなくて、母親に電話をして、母親の愚痴を聞いて、ツムツムにはまっているようで、ついでに祖母と祖父の命日を聞いて、僕は当時小学生だったらしくて、喉が痛いと言ったら紅茶にはちみつを入れて飲めと言われて、電話を終えて、コンビニに行って、紅茶とはちみつを買って、紅茶とはちみつを買いたかったんだな、と思って、帰って、紅茶にはちみつを入れて飲んで、また歌って、ハーモニカを吹いて、そしたら0時になっていて、Aにラインをして、Aも疲れているようで、Aは悩んでいるようで、死の話をして、戦争の話をして、布団に入って、また歌って、2時になった。

 

なぜ喉が痛い時に限ってパンクロックを歌いたくなるのだろうか、と思ったけれども、考えてもよく分からなかった。

 

母親のことを僕は母親だとばかり思っていたけど、多くの人からは僕の母親は母親ではなく一人の女性だと思われているのだな、ということを生まれて初めて思って、母親は僕ぐらいの年齢の時には何を考えて生きていたのだろうか、ということを生まれて初めて知りたくなった。

 

Aは僕が一度もなりたいと思ったことのないものになりたいらしくて、へえー、と思って、いいですね、と言ったら、いいのかな、と言われたから、いいじゃんと言った。

 

こういう日の積み重ねで僕の脳みそは形成されていくのだなあ、と思って、そう考えるとこういう日も悪くない気がしたけれども、やらなきゃいけないことが全部明日に後回しになって、きっと明日つらい思いをするのでこういう日はたまーに訪れるぐらいがちょうどいいです。