ハルに風邪ひいた

駆け出し宇宙工学者が気が向いたときに書く方のブログ

塩と涕と歳と汐

 

幼い頃、僕は泣き虫だった。

 

 

幼稚園の音読発表会で、本のページがうまくめくれなくて泣いた。担任の先生が慌てて飛んでくる光景と、母親が客席で赤面している光景は覚えているが、その後泣いている理由をどう先生に説明したのかは思い出せない。いや、さっさとめくれば済む話やがな、と先生は半ギレだったかもしれない。

 

兄の友人の家に一緒に遊びに行った時、部屋に掛けてあった鬼のお面を見て泣いた。それはもう大声で喚くぐらいガチな鬼だったのだ。それ以降、彼の家に僕が行くときには必ず前もって鬼のお面を外しておくというローカルルールが制定された。たまにルールを忘れて掛けたままにしていると僕がまたワーワー泣くので、彼も半ギレだったかもしれない。いやでも、小学生の部屋に鬼のお面は渋すぎると思う。仮面ライダーだろ、普通。

 

幼稚園にテレビの取材が来た時に、あとで録画を見たら全然映っていなくて泣いた。「カメラが来ても無理やり前に出ちゃダメですからね」という先生の忠告を僕は律儀に守っていたのだが、友人たちは全くお構いなしに前に割り込んでバッチリ映っていたのだった。みんなダチョウ倶楽部の見すぎだと思う。友人たちが満面の笑みでピースしている映像を母親が楽しそうに見ていて、僕だけが母親を喜ばせられていないという事実がたまらなく悲しかったのだった。

 

福岡ドームに野球を観に行った時に、井口選手のホームランボールが目の前に飛んできたのに捕れなくて泣いた。父親はちょうどそのタイミングでトイレに行っていて、戻ってきたら僕がギャン泣きしていたのだ。当時、ホームランボールを売ればきっと一生遊んで暮らせるぐらいのお金が手に入って、父親もこれ以上僕のために働かなくて済むはずだったのに、と本気で悔しかったのだった。なんちゃら鑑定団の見すぎだと思う。帰り道、父の漕ぐ自転車の後ろの席にまたがりながら、自分のせいで父に楽をさせてあげられないのが申し訳なくてまたしくしく泣いた。

 

 

 

 

 

 

いつからかそんな風に頻繁に泣くことはなくなったけれど、実はこのところまたよく泣くようになってきた。というか、何かを感じたらなるべく涙を流して積極的に感情を外に出すようにしている。

 

 

「ワンピース 感動」と検索してYouTubeを観ながら泣く。何度見てもチョッパー編で耐えきれずボロ泣きしてしまう。「コナン 感動」も検索してみたけどあまり良いのが見つからなかったので、ワンピースばっかり観ている。

 

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』を見て泣く。最後、ぶりぶりざえもんが助けにくるシーンで完全にやられた。ついでに『オトナ帝国の逆襲』と『アッパレ!戦国大合戦』も観て、これでもかと涙腺に追い打ちをかける。子供の頃にはあまり感動しなかったシーンで感動し、自分の成長を感じることでさらに泣くというフィードバックループを見事構築する。

 

コインランドリーに行く途中でついファミチキを買ってしまい、乾燥機に入れる100円玉が足りず生乾きで持って帰る羽目になり、あまりの自分の不甲斐なさにイライラがピークに達して泣く。

 

家に帰ってきてパスタサラダを机に置いたときに、思いのほかガタっと大きな音を立てて変な動きで机に着地したのを見て泣く。真顔でパスタサラダを食べる。

 

カネコアヤノを聴いて泣く。

騒がしい路地の隙間から

西日が射すだけ泣きそうで

全てのことに理由がほしい *1

そうだなあ、そうだそうだ。泣く。

 

自分の2年前の日記を見て泣く。博士課程に進学すると決めた時、祖父と話したことが書いてあった。

色々話した。経営を37年間続けたこと、専門ではなかったので多大な苦労をしたこと、その苦労は誰にもやらせたくないこと、自分の仕事は自分のためだと懸命にやったこと、やりたいことは何でもやってきたこと、今年で80歳になるが未だに韓国語を勉強していること、毎日書いている英語日記はもう20年になること、まだまだ僕は若いということ、その若いうちになんでもやりなさい、知識は荷物にならない。

祖父はまるで遺言でも語るかのようで、僕は、その光景を一つも忘れたくはなくて、こんな時に涙の一つでも流せたらいいのにと強く、強く思ったのだった。その時、涙は流せなかった。

 

顔の肌荒れが治らなくて泣いているYouTuberを見て泣く。深刻そうな顔のサムネイルにつられて思わず動画を開いて、気付いたら全部見てしまった。モデルをしている人らしい。*2

「すごい申し訳なくて」「モデルも続けたくないし」「美容系って言ってるのに全然みんなに綺麗なメイク教えてあげられなくて」「こんなに頑張ってスキンケアしてるのに」「やばくないですか普通に」「盛れてなさすぎて」「ほんとに苦痛すぎて」「無理なんだけど」「生きていくのがめちゃくちゃ辛いです」「何撮ってんだろほんとに」「みんなの前で笑ってるけどほんとに泣きたくて」「家から出たくないんですよ、もうほんとに」

僕にはきっと共感しきれないけれど、でも彼女にとって極めて切実で、世界を揺るがす大事件で、声を荒げて、必死で、そういう偏った強い願望を持つことが今を懸命に生きることだと思う。泣く。

 

カネコアヤノを聴いてまた泣く。

たくさん抱えていたい

次の夏には好きな人連れて

月までバカンスしたい

隙間からこぼれ落ちないようにするのは苦しいね *3

しっかりとした気持ちでいたい

自ら選んだ人と友達になって

穏やかじゃなくていい毎日は

屋根の色は自分で決める *4

共感しきれないけれど、彼女にとってきっと切実で、偏った願望はやっぱり美しい。泣く。

 

牡丹茶房『廃優』を観劇して、あまりの恐怖と迫力に号泣する。一緒に観に来た友人2人にドン引きされる。スナッフフィルムを扱った話だった。とても良い芝居だったけれど、単純にこわいのが苦手なので途中から全身が硬直してしまった。こわいのこわい。いたいのいたい。

僕がホラー、特にスプラッターが苦手なのは、肉体の脆さを極端にあからさまな形で見せられるからだと思う。人間が時にあまりにも無力なことくらい知っているから、あえて声高に宣言されるのはあまりにもつらい。

観劇後泊まった友人の家で見た朝焼けの、ちょうど青とオレンジの境目の一番色が淡くなっている箇所を指し示すように細い影が一本走っていて、それはスカイツリーだった。電車に乗る頃には空はやけに不健康そうに青白くなり果てていて、ああ、もう、どうして、続かないものは、続かなくなるだけでなく、いつも、壊れてしまうのだろう。人間の肉体も、景色も、そうだ。

 

自分の2年前の日記を見てまた泣く。

あの人のことがとても好きだ。それは身体と混然一体であり、自分でも区別できないけれど、ただ今この瞬間にあの人の髪に触れたい、肌に触れたい、そう思う。それは純粋だろうか。純粋でなきゃいけないだろうか。

夜明けを待たず、踊ろう、生きているこの瞬間を。

続かないものは、続かなくなるだけでなく、いつも、壊れてしまう。人間関係もそうだ。

 

友人の結婚式の花嫁が最高に美しくてびっくりして泣く。が、親族も泣いていないのに僕が泣いちゃいかんだろ、とさすがに冷静になり頑張ってこらえる。バージンロードを歩く姿は、ほんとうに妖精みたいで、ふんわりとした白いベールは今にも溶けだしそうなぐらいやさしく光を散乱させていた。食感にたとえるなら、きっとアンパンマングミのオブラートのような優しさだ。食感にたとえるのは今後やめよう。

キリスト教一家である友人の結婚式は、本格的な儀式として執り行われ、周りのたくさんの教会関係者は、聖書の言葉に小さくうなずいたり、目を閉じて静かに祈りを捧げたりと、神々しい一体感でもって新郎新婦を見守っていた。

壊れてしまうことを知っているから、抗うように、懸命に、繋ぎとめる必要があるのだと思う。それが結婚の意味なのかもしれない。それが、祈りの意味なのかもしれない。きっと、信仰というのも、切実で、偏った願望のひとつだ。僕にはやっぱり共感しきれないけれど。

 

 

 

歳を取ると涙もろくなると言うので、いよいよ僕もおじさんになってきているのか……、と覚悟していたが、柴田理恵さんが最近泣いたのは「犬が走っているところを見た時」だと聞いて安心した。うん、やっぱり本物は違う。まだまだ僕は若い。

 

うん、そうだ、まだまだ僕は若い。だから、若いうちに何でもやろう。前に進もう。知識は荷物にならない。そうだよね。

 

 

*1:カネコアヤノ『アーケード』https://youtu.be/AjU1BLFmOMM?list=TLPQMDIxMjIwMTkTIyOZGay3sw

*2:https://youtu.be/UyfUos2-Szg

*3:カネコアヤノ『光の方へ』https://youtu.be/cE7-jDEKtE4

*4:カネコアヤノ『燦々』https://youtu.be/EXsnSC-fzMk?t=61