ハルに風邪ひいた

駆け出し宇宙工学者が気が向いたときに書く方のブログ

道徳が揺さぶればこんにちは

 

19時になってようやく少し陽が傾き始めると、ガロンヌ川はこれでもかとせわしなく、かしましく、キラめき始めた。

乱反射、乱反射。

学会のため訪れたフランス・トゥールーズで、僕は時間を持て余していた。教授とのディナーの約束は19時45分。あと45分。うん、もうやること、ない。やることないから、川の流れでも見る。

乱反射、乱反射。

時間を持て余している割に、目の前で繰り広げられているダイナミックな光の演出を形容する言葉なんかは一向に見つからなくて、急激にもどかしくなった。ぐちゃぐちゃでいて美しくて、何だろうこれは。

乱反射、乱反射。

なんだか考えるのがめんどくさくなって僕は川のほとりの公園の芝生にちょこんと腰を下ろす。

 

芝生で隣に座っているフランス人のおじさんが、なにやら目の前の2人組のギャルに大声で話しかけている。ギャルたちは、キャッハッハまじウケるなにそれクソワロ~(仏語)と大盛り上がりなので一向にそのおじさんに気付かない。おじさんは、なおもギャルたちに大声で話しかける。

これは何だろう。ナンパなのだろうか。いや、おじさん1人でギャル2人同時に?そんなイケイケなおじさんにも見えないし。何だこれ。

おじさん、懲りずに話しかける、ギャルたちキャハハ、おじさん、めげずに話しかける、ギャルたちウヒャウヒャ、これが10回ほど続いて、ようやくギャルの1人が振り返った。

おお、いよいよ何かが起こるぞ。おじさん頑張れ。ナンパだとしたらどう見ても勝算はあまり無さそうだが応援してるぜ。

おじさんは、すかさずギャルたちにジェスチャーを送る。手首をクイっとひねるようなジェスチャー。

むむっ、何だそれは。それは何かのハンドサインなのか。何かの誘いか。フランス流なのか。

ギャルたちは、あぁオッケー、というような感じでガサゴソと自分の荷物を探り始めた。

なぬっ、通じたのか今ので。もしやこのおじさん相当やり手なのではないか。こうやって日曜日に芝生に陣取っては獲物のギャルを見定め、軽快なジェスチャーでギャルたちと連絡先を交換しまくっているのではないか。おじさん、あんた本当はイケイケなのかい。それならそうと先に言っておいてくれよ。

ギャルが荷物から何かを取り出し、おじさんに向かってポーンと投げた。キャッチするおじさん。キャッチしたその何かを器用に取りまわすと、おじさんの手の中からシュポンという音が聞こえた。それはビール瓶の栓抜きだった。おじさんはビール瓶を開けるとまたそれをポーンとギャルたちに返した。キャッチすると、ギャルたちはまたキャハハまじワロと話し始めた。おじさんは満足げにビールを飲み始めた。

うわあ。うわあ。うわあ。うわあ。うわあ。うわあ。

 

コミュニケーションだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ながいさん、それはコミュニケーションの拒絶です!   

あなたは倫理的空間への介入を拒んでいます!!*1

 

哲学研究者、永井玲衣さんの連載。彼女が倫理学のゼミで、わざわざ電車の席を譲るよりもそもそも座らずに席を開放しておく方がよいのではないか、と意見を述べた時に先生に言われた言葉だそうだ。

 

倫理的空間。めんどくさい空間だ。老人扱いするな!とか怒鳴られるかもしれないし、隣のヘッドホン兄ちゃんから偽善者ぶってんじゃねーよと舌打ちされるかもしれないし、あと1駅なんで大丈夫ですとか断られて、でももう席立っちゃったからまた座り直すのもなんかダサいかな、とか思っているうちに他の人がスッと座っちゃって微妙な空気になるかもしれない。声をかけてもひたすら無視されるかもしれない。フランス人のおじさんみたいに。

倫理的空間はコントロールできない。他人の領域に踏み込むことは自分の制御範囲外に身を投げ入れることだ。傷つけられるかもしれない距離まで相手に近づくことだ。とってもこわくて、めんどくさいことだ。倫理的空間は、何が起こるか分からないカオスのような空間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の頃、帰りの電車に乗っていると駅の直前で一人の女性が倒れた。貧血か何かのようだった。僕がびっくりしていると、すぐさま彼氏と思われる人が落ち着いて介抱を始めた。彼は女性を抱きかかえ、駅に着くと彼女と一緒に降りた。そして僕も、降りた。なぜか降りた。自分が降りる駅でもないのに、衝動的に降りてしまった。

あの、大丈夫ですか!

僕は衝動的に降りたその勢いで彼らに話しかけた。男性はぐったりとした女性をベンチに座らせながら穏やかに、大丈夫ですよ、と答えた。

ああ、大丈夫だった。僕なんかいなくても、大丈夫だった。僕は急げばまた電車に乗り直すことも出来たけどなんだかそれはこの上なく恥ずかしいことのような気がして、あたかもはじめからこの駅で降りるつもりでしたけど?みたいな澄ました顔をしながらすたすたと階段を上った。

 

これでいいのだろうか。

 

僕が衝動的に降り立ったあの駅のホームは、倫理的空間だった。なんの装備もなく丸腰でそこに飛び込んだ僕は、貧弱なジャブのような言葉を一つだけ繰り出して、それをスッとかわされるとそのまま逃走した。階段を上りきった先で僕は、立ち止まっていた。ああ、逃げた。めんどくささから逃げた。ぐるぐると無駄に思考は巡り、僕は、どこにも行けなくなった。

 

ソイジョイの自販機。気が付くと僕はソイジョイの自販機に一心不乱に小銭を投入していた。ソイジョイは大豆だ!大豆はタンパク質だ!タンパク質は体をつくるもとだ!きっと貧血にも効くに違いない!そんなに間違ってはいないながらもトリッキーに聞こえる論理を組み立てて、僕は再びあのめんどくさい空間に立ち向かおうとしていた。そういうことなら貧血に良さそうな鉄分入りのプルーン味を買えばいいものを、「いや、あの年齢の女性は全員イチゴ好きのはずだ!」などと偏見たっぷりの論理も織り交ぜてイチゴ味を購入した。

ホームに降りると彼らはまだベンチに座っていて、僕はぶっきらぼうに、これどうぞ、とイチゴ味のソイジョイを差し出した。見知らぬ少年に突然大豆バーをプレゼントされて彼らは一瞬ポカンとしていたが、ありがとう、と受け取ってくれた。それだけだった。なんだこんなもんか、とも思った。けれど、僕はその空間で確かにコミュニケーションを為すことができた。僕はそのとき少しだけ、そのカオスな倫理的空間とやらの秘密を見たような気がしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ、そういえば、と思いだす。あれは乱反射じゃない。ガロンヌ川の波面が太陽に照らされてキラキラとしていたのは、乱反射じゃない。鏡面反射だ。各々の波面はまっすぐに光を反射していたけれど、その波面がたくさん入り乱れて、全体としてカオスに見えていただけだったんだ。ひとつひとつのあり方は単純で、まっすぐなんだ。

 

なんだ、そういうことか。

 

とてつもなくめんどくさいように見えるけれど、制御不能で目を逸らしたくなるけれど、きっとそこにあるのは案外シンプルなものなんじゃないか。コミュニケーションなんて、実は簡単なことなんじゃないか。ビール瓶をシュポン、と開ける程度の軽快さなんじゃないか。栓抜きをポーンと投げ合う程度のカジュアルさなんじゃないか。下心無しにただビールを開けたいという程度のくだらなさなんじゃないか。この世界はそんなに悪い人ばっかりだろうか。うそつきばっかりだろうか。偽善者ばっかりだろうか。イチゴ味のソイジョイを手にした彼らは、あの後あれを食べたのだろうか。見知らぬ人間が渡してきた食べ物なんて、気持ち悪くて捨てただろうか。

信じていたい。甘いと言われても、子供だと馬鹿にされても、僕は信じていたい。まっすぐな論理を詰め込まれたぐちゃぐちゃなそれは、美しいものだと信じていたい。