ハルに風邪ひいた

駆け出し宇宙工学者が気が向いたときに書く方のブログ

かげろうと星の夜

星が生き生きと瞬くのは、地球に大気があるからだ。大気に温度のムラがあるからだ。温度のムラで光が揺らぐからだ。

だから、躍動する星たちを眺めるとき、本当に躍動しているのは地球の方だ。地球に住む僕の方だ。

僕が見ているのは、僕だ。

 

スティーヴン・スピルバーグの『A.I.』を見た。面白くなかった。綺麗な映像だった。展開にも、セリフにも、興奮しなかった。子役がすごかった。深みのないキャラクターが多かった。面白くない映画を面白くないと言うのは面白くない。

面白くないのはスピルバーグなのか、僕なのか。

 

松本人志の『ドキュメンタル シーズン7』を見た。面白くなかった。ドキュメンタルはいつも楽しみにしている。保身のために空気を壊し続ける人は好きじゃない。笑いを堪えている人を見るとニヤニヤしてしまう。ザブングルの加藤が面白くなかった。面白くないものを見ている時の僕の思考は面白くない。

面白くないのはザブングル加藤なのか、僕なのか。

 

ファミレスでトンテキを頼んだ。隣の席のおじさんがキレていた。40歳ぐらいのおじさんの正面には気弱そうなお爺さんとお婆さんが座っていた。トンテキが来た。メニューの写真と全然違っていて驚く。ボケているお爺さんに向かっておじさんが赤ちゃん言葉で話しかけている。申し訳なさそうに食べているお婆さんにおじさんが罵声を浴びせている。トンテキの味が無い。イヤホンを付ける。トンテキに集中する。テーブルに前のめりになったおじさんが視界に入る。お爺さんを指さしている。イヤホン越しにおじさんの声が聞こえる。トンテキに集中する。トンテキがメニューの写真と全然違う。「婆さん、いつまで食ってんだよ。」お婆さんはうつむいたままキャベツを食べる。「お爺ちゃん、自分で食べるって言ったんだから責任もってちゃんと食べましょうね。」お爺さんはうめき声をあげる。トンテキに集中する。トンテキに集中できない。おじさんが席を立って店を出た。お爺さんとお婆さんがゆっくりと手を取り合って立ち上がる。何か声をかけなきゃと思う。何か声をかけなきゃと思っていたけど、トンテキがメニューの写真と全然違う。トンテキがメニューの写真と全然違うから、何も声をかけられなかった。

怒っているのはおじさんなのか、僕なのか。

悲しいのはお爺さんなのか、お婆さんなのか、僕なのか。

 

 

 

 

 

 

 

宇宙から見る星空は死んでいる。大気が無いので星の光は一切歪まず減衰もされず、揺らぐことなく目に届く。だから、無限の闇に無数の光の粒がべったりと貼りつけられているように見える。そんな星空を見てみたいと思う。死んだ星空と、生きている僕。その時僕は初めて景色をただ景色として見ることができるのだ。純粋に景色の美しさを味わえるのだ。僕と世界とを切り離すことができるのだ。

死んでいるのは星空で、僕は間違いなく生きているのだ。

 

 

 

 

 

世の中はゴールデンウィークだ。ゴールデンだ。キラキラだ。

輝いているのは世の中なのか、僕なのか。

僕は揺らいでいる。輝いているかは分からないけれど、ただひたむきに揺らいでいる。