ハルに風邪ひいた

駆け出し宇宙工学者が気が向いたときに書く方のブログ

ドロップと桜のマーチ

まだまだまだまだ懲りずに短歌を作っている。

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太陽と地球と月と絞殺と刺殺とフライドチキンの宇宙

 

 

 

 

 

 

 

 

シルヴェスタ―・住宅ローン

ベネディクト・缶バッジ

ミラ・ジョボジョボビッチ

 

 

 

 

 

 

 

 

たのしいね!たのしいね!たの、たのしいね!たのしいね!たの、たのし、たのしいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ熱は後部座席にある

冬は

ギャグマンガみたいな雲だ

父がいた

 

 

 

 

 

 

 

 

求めても求められない恋がある同じ地平に東京がある

 

 

 

 

 

 

 

 

えびかにの手足をもいでしあわせとふしあわせとは同じ生き物

 

 

 

 

 

 

 

 

喉元に刺さったままの夜がある

万引きペプシの泡の苦さで

 

 

 

 

 

 

 

 

さようとはいかようですかいかですかたこですかまた別れのにおい

 

 

 

 

 

 

 

 

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幼稚園から小学校へ上がるタイミングで、父親の転勤で福岡から兵庫に引っ越すことになった。やけに改まった様子の両親からそのことを告げられた夜、当時小学四年生だった兄はとても悲しんでいた気がするけれど、僕はというと「ふーん、そうなんだ」という感じだった気がする。なるほど遠くに引っ越すのね、ということは分かったけれどイマイチそれがどういうことなのか実感がなかったのだ。

引っ越しの当日。幼稚園でいちばん仲の良かった友達が見送りに来てくれた。いつも元気で笑顔の絶えない彼の表情はすこしぎこちなかった。それから多分覚えたての別れの言葉を交わして、多分握手なんかをして、多分父が「そろそろ行こうか」と言って、車に乗り込んで、それから僕はえらい泣いた。友達もえらい泣いた。彼が泣くのを見たのは初めてだった。それを見てまたえらい泣いた。びゃーびゃー泣いた。泣く理由なんかよく分からなかったけれど、ただただ悲しくて、お互いの表情が遠く見えなくなったあとも僕らは共鳴し合うように泣き続けた。

 

僕が生まれて初めて味わった別れの体験だった。18年前のちょうど今頃のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、教授の運転する車で日帰り仙台出張へ行ってきた。生まれて24年、実は東北へ行ったことが一度もなくて、雪国には勝手に神聖なイメージを膨らませていたのだが、人の運転する車で知らぬうちに個人的最北端ラインを突破してしまって、おまけに雪なんか全く積もっていないわりに無駄に寒くて、少しも感慨は湧かなかった。律儀に貞操を守り続けて、「初夜は特別な日にするの!」なんて言いながら、酔った勢いであっさり初体験してしまったような感じだろうか。違うか。結局初の東北進出で口にしたのはパーキングエリアの大して美味しくない鮎の塩焼きと、食堂のちょっと美味しいカツカレーだけで、またドタバタと車で帰路へ。教授のやや荒い運転に心配になりながら、ぼーっと窓の外を眺める。

車窓越しに知らない街の知らない家の明かりが次々と通り過ぎていく。あの家の明かりひとつひとつに少なくとも一人の人間が住んでいて、僕はそんな名も知らぬ無数の彼らの生活になんとなく思いを馳せていくけれど、彼らは僕の存在なんかには全く気付いていなくて、そんな小さなすれ違いのような出会いと別れを延々と繰り返すうちになんだか妙な気持ちになってしまう。それは悲しいに近いけれど、怖いとも寂しいともつかない微妙なざわざわだったりする。そしてそれはまた不思議なことに、やけに魅力的であったりもするのだ。

かれこれ道中の5時間ずっと窓の外を眺めていたような気がする。夜の街には、そんな不思議な魅力がある。

 

 

 

 

 

宇宙にも、同じ構造がある。夜空には無数の光が輝いているけれど、あの肉眼で見えている光のひとつひとつは恒星といって、ぼくらの太陽系でいう太陽だけしか見えていない。もっと言うと、その恒星だと思っている光はたまに銀河だったりして、そうするとその光ひとつは実は一兆個ぐらいの恒星の塊だったりする。さらに、太陽系に水星、金星、地球、火星……があるように、恒星の周りには肉眼では見えない惑星がいくつか存在したりもする。だから、あのおびただしい量の光のさらに何倍もの星が存在していて、僕は名も知らぬ無数の星たちや、もしかしたらいるかもしれない無数の宇宙人たちになんとなく思いを馳せるけれども、残念ながら現状の技術では太陽系外の惑星に行くことや、宇宙人に会いに行くことは不可能で、僕の思いは届くことなく少しずつ減衰しながら夜空に溶けていく。それはやはり小さな別れの連続のようで、悲しくて、怖くて、寂しくて、不思議なことに、魅力的なのだ。

宇宙とのそんな微妙な関係を、僕はなぜだか愛してしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

別れの意味は、僕の中で少しずつ変わってきたように思う。もうあの頃のようにびゃーびゃー泣くような別れはなくなってしまって、なんだか自分が随分薄情な人間になってしまったような気もする。けれども今の僕には別れをただ悲しいものととらえるのではなくて、もう少し複雑で、曖昧で、魅力的なものだと受け入れることができる。

 

今年も、たくさんの別れを経験した。小さな別れや、しばしの別れ、多分大きいであろう別れ。思いが通じる別れもあれば、気楽な別れ、すれ違いのような別れもあった。

別れのにおいはいつも、知らぬ間に風に染み込んでいて、気がつくと鼻腔いっぱいに充満している。この時期になるとみんな揃ってマスクを着けだすのはそのせいなんじゃないかと思う。新しい空気を吸い込む前に、まずは吐けるだけ息を吐いて、意味ある呼吸を小さく繰り返して、ゆっくりと息を整えようと思う。春の空気はもうすぐそこまで来ている。