ゴマキ、ハルマキ、いい気分、。
まずはこちらの写真をご覧いただきたい。
大学一年の頃住んでいた家の近くの工事現場で見つけた看板である。はじめは「ああ、工事やってるんだなー」ぐらいにしか思っていなかったが、何度もこの看板の前を通るうちにあることを思った。
「いやこいつ、謝る気ないだろ」
彼の目を見ていただきたい。見るからに不満げである。頭を下げて一見従順なふりをしながら不服そうに相手を睨みつけているのがお分かりだろう。怒りに口元が歪んでいることからも、相当な恨みを持っているに違いない。少年漫画なら、「オモテでは『ちょっとドジだけど良い奴』を演じながら、密かに主人公への復讐に燃える同級生」がはまり役だろう。
かくして彼との衝撃的な出会いを果たしたのが、遡ること四年前の出来事である。
そして先日新宿をぶらぶらと歩いている時、たまたま工事現場の前を通りかかった僕は、己の目を疑うものを発見する。
おい、お前さらに謝る気なくなってるじゃねえか。
なんだその全面的に人を小ばかにしたような表情は。絵のタッチを少しデフォルメ化して和らげたかと思いきや、むしろ逆に反骨心を増すというこの表現技術。
四年前ならまだ死に際に、「俺が間違っていたよ……妹をよろしく頼むな……」とか言いながら主人公と熱い抱擁を交わす展開もありだったが、この表情ではもはやそんな展開すら許されず主人公に滅多打ちにされてやられるほかない。
四年という時間でこんなにも人は変わってしまうのである。時の流れは恐ろしい。
失敬。
と言っても最近のやつではなく、いわゆる全盛期と言われる時代、すなわち矢口真里さんが殺人光線「セクシービーム」を放っていた時代の前後のやつである。当時は毎日のようにテレビで流れていたのだけれど、まだ幼稚園生だったので辻ちゃんと加護ちゃんの区別も分からず見ていたが、改めて見ると非常に惹きつけられるものがある。全盛期のアイドルというのは無敵の勢いを持っていて、彼女たちが歩くだけで、そこにいるだけでもう魅力的なのである。
そんな中、このフレーズが刺さる。
どんなに不景気だって
恋はインフレーション
こんなに優しくされちゃ みだら
明るい未来に 就職希望だわ*1
どうやら当時の日本は「失われた10年」とかなんとかいう混迷の時代にあったらしく、ここでの「明るい未来」というのはそれなりに切実なものであったらしい。しかし、それほど切実に彼女たちが就職を希望したというその「明るい未来」とやらは彼女たちのもとにやって来たのだろうか。
モーニング娘。も全盛期を過ぎ、やがてゴマキが卒業し、保田さんが卒業し、なっちが卒業し、辻ちゃん加護ちゃんが卒業し、みんなアイドルでなくなってしまった。歩くだけで、そこにいるだけで日本中を熱狂させることができた彼女たちは、歩くだけでは、そこにいるだけでは日本中を熱狂させられなくなった。
果たして未来って、そんなに良いものなのだろうか。
ここ一ヶ月間、なぜだかずっとモヤモヤした気分だった。部屋に一人でいると、どうにもダメなのである。夜食として取っておくはずだったチョコはおやつの時間に開けちゃうし、5分で終わる作業のために3時間仮眠しちゃうし、窓ガラスに突撃してきたセミにビビりまくるし、部屋の天井を見ているだけでなぜだか弱気になってしまう。
電気をつけたまま寝て、なんだか落ち着かない嫌な夢で目覚めて、シャワーを浴びて、体を拭いて、鏡の前に立つ。髭が前より濃くなった、肌がきれいでなくなった、身長はさほど高くもならなかった成人男性がそこに映る。これが、僕にやって来た未来か。この未来は、「明るい未来」なのだろうか。
駅前に行くとお母さんが赤ちゃんを連れていて、その赤ちゃんが自分の足で一生懸命バタバタと歩いていて、ベンチに腰掛けた老夫婦がその様子を笑顔で見守っていて、僕は改札に向かう足を揺らがされる。もしかしたら僕にもあんな風に、歩くだけで、そこにいるだけで人を幸せにできた頃があったのかもしれない。そのとき僕はアイドルだったのかもしれない。
一人でいるとどうにもカッコ悪くて、情けなくて、怠惰で、だからidleなのにidolではなくて、そのことを痛感して、ここ一ヶ月間のモヤモヤはそのせいだったのかもしれない。僕は自分がアイドルでないことを悲しんでいたのだ。
良い歳した成人男性が一体何を言っているんだ。でも、そうなのだ。僕はアイドルでなくなってしまった。それはなんだか悲しいことである。
そういえば当時のモー娘。メンバーって今どうなってるんだろうと思って、ゴマキのブログを見てみた。芸能ニュースには疎いので全然知らなかったが、なんとあの永遠のアイドルゴマキもいまや二児の母になっているそうだ。それでいて雰囲気こそ変わったがまあ相変わらずの美人であることにまた驚く。ブログでは我が子に箸の持ち方を教える様子や、アンパンマングッズを買ってあげたことなど、毎日のように我が子との出来事が記されている。ついさっきまで動画の中で踊っていた「エース・ゴマキ」と同一人物だということに頭が追いつかないけれども、立派な母親になって子育てをしている様子はとてもキラキラしていて、カッコいい。彼女はもうアイドルでないけれども、そんなこととは関係なく今を一生懸命生きていて、楽しんでいて、それは美しいことである。
アイドルは、アイドルでなくなってしまう。それは悲しいことである。それは時に足を止めてしまいそうになる事実である。
しかし、それでも走り続けることができたら、と思う。もう二度とアイドルにはなれない人生を、それでも肯定できたら、と思う。鏡に映る姿は多分相変わらずだけれど、走り続けている間だけは、きっと少しは輝いて見えるのだ。だから、少しずつ、少しずつでも進んでいこうと思う。
明るい未来に就職希望である。