スープと扇風機をすれば、また介入も潮時だけど、それでも僕らぐちゃぐちゃだから、ぐちゃぐちゃなまま愛しましょうね。

クリームソーダって何なんだ。

あれである。あの皆さんご存知の、メロンソーダの上にアイスを乗せたあれである。あいつは何なんだ。どう考えてもネーミングがおかしくないか。「コーラフロート」、「コーヒーフロート」と並んだ次に「クリームソーダ」である。おい、おかしいだろ。その並びなら明らかにお前は「メロンフロート」だ。なんという不条理感。「太郎」、「次郎」と名付けた挙句、三男に「翔太」と名付けるようなもんである。『ねえお兄ちゃん、もしかして僕は本当の兄弟じゃないの……?』と不安で夜も眠れない翔太くんの顔が浮かんでくるようである。

いやまあよかろう。こちらも良い歳した大人なので百歩譲って「アイスクリーム+メロンソーダ」を省略した言葉だと認めてやろう。いや、それならお前は「アイスメロン」だろう。なぜ「アイス・クリーム」と「メロン・ソーダ」からわざわざ特徴の無い方の「クリーム」と「ソーダ」を取ってきたんだ。これまたなんという不条理感。「地上デジタル放送、略して『上タル』!」と言っているようなもんである。何だ「上タル」って。ちょっと良い店のタルタルソースか。

しかし、これだけ文句を言っておきながらフロート系のラインナップを見るとどうしても「クリームソーダひとつ」と頼んでしまう。ひとしきりアイスとメロンソーダを別々に楽しんだ後、境界面でそれらが混ざり合ってできるあの絶妙な融合体(命名:クリームソーダイリュージョン)をペロペロした瞬間、「なんやかんや言って、うまいやつが正義っしょ」と自信満々のあいつに「参りました」と白旗を上げてしまう。かくして彼は今日も当然のような顔をして「クリームソーダ」の名を名乗っている。

 

 

 

 

 

先日、夕方に帰ってきてテレビをつけると「おかあさんといっしょ」がやっていたのでなんとなく見ることにした。テレビをつけた時にはちょうどエンディングが始まる頃で、体操のおにいさんが小さなおともだちと一緒におうたを歌うところだった。ああ、いつの時代も体操のおにいさんはみんなのおにいさんだ、と心癒されるのもつかの間、テレビの前の大きなおともだち(僕)は言葉を失うことになる。

 

「たまご!次はさかな!」(さかな!)

「さかな!そしてとかげ!」(とかげ!)

「とかげ!からのブンバボーン!」*1

 

え?と、とかげさんに一体何があったんだ……。聞き間違いでなければ確実にとかげさんは「ブンバボーン」と愉快な爆音を立てながら爆発したはずである。早くも置いてけぼりを喰らったおともだち(大きい)をよそに、おにいさんとおともだち(小さい)は構わず続ける。

  

「じゃあ座って~。たまごを作りますよ」

たまごがひとつ たまごがふたつ

ぱんだのお目めが つけまつげ!

 

おにいさんがたまごをふたつお目めに付ければそれはまさしくぱんだのお目めなのである。そこに一切の迷いは無い。そして当然のように最後の「つけまつげ!」に対しては何の説明も加えられない。

 

アルパカぱっかぱっか ちょっとオカピ

アルパカぱっかぱっか ちょっとオカピ

ミーアキャットが フラミンゴ~

 

もはや完全敗北である。正しい解釈をしようというこちらの姿勢など根本から無に帰すような、おにいさんの自信に満ち溢れたダンス。アルパカがちょっとオカピで、ミーアキャットがフラミンゴであることに何の疑問も抱かない小さなおともだち。最後はうたのおにいさん、おねえさんも出てきてみんなで恒例のトンネルくぐりである。おにいさん、おねえさんが腕で作ったトンネルが目の前に現れ、律儀に列を作ったおともだちがくぐり抜ける。

 

ブンバ・ボンって走って行こう

ブンバ・ボンって元気にいこう

ブンバ・ボンって空に歌えば

心がわくわくしてくるよ

 

最後は非常に良い歌詞である。結局、とかげさんの断末魔であるということ以外『ブンバボン』の意味は分からなかったが、そんなことはもうどうでもいいのである。なんだかよく分からないけれども、ブンバ・ボン!っと元気に走って空に歌えば心は自然とわくわくしてくるのだ。「このおうたの歌詞は不条理だよ!でも不条理は不条理で仕方ないんだから、不条理のまま思いっきり楽しんじゃえ!」とおにいさんに言われているような気がして、開いた口が塞がらない大きなおともだちは何だかちょっとだけ元気をもらったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

さきほどブログの下書き用のWordファイルを開くと、一ヶ月前に下書きをしてそのまま未完成のままになっている文章が出て来た。

 

真面目なことを考えてそうな時ほど、頭の中はめちゃくちゃだったりする。圧力と温度変化の妥当性を先輩に主張するのと同じ脳みそで、ライオンのたてがみはなんで焼きそばではないんだ!と怒っているのだ。ウォークマンは足速くなったかなあとか、伊右衛門より綾鷹のほうが歌うまいよなとか思っているのだ。

 

自分で書いておきながら一か月前の文章を見ると驚いてしまう。なんでライオンのたてがみが焼きそばでないことに腹を立てているのかは全く分からないが、しかしその姿勢には自分ながら共感できるところもある。生きるためには生きるものを殺して食べなきゃいけないし、いつか必ず別れることになるのに人は人と出会おうとする。それに理由をなんとなく付けることはできるけど、やっぱり不条理で、そんなことが許されるならもう論理なんてものは何の役にも立たないような気がしてくる。

この続きには、気分が悪そうにしている女性が電車に乗ってきたので介抱しようとした時のことが綴られていた。その女性は普段持ち歩いている頭痛薬をたまたま持っていなくて、吐き気と頭痛に苦しんでいるようだった。

 

近くに座っていた二人組に頭痛薬持ってないですかって聞いたけど持っていなくて、そうすると女性は申し訳なさそうな顔をして「全然気にしないでください」って言うからじゃああんまり気遣っても迷惑なのかなと思ってまた僕は座った。ルーマニアの鋭さは到底歩いて学校行く前、時間で遅めになるからなんとかなるはずなのに総じることも気ままでやっぱり午前は寝過ごしている。そうしているうちに僕が降りる駅が近づいたので、「僕降りますけど、降りて休んだらどうですか?」って聞いたけど、大丈夫ですって明らかに大丈夫じゃなさそうな顔で言われて、でも大丈夫って言ってるしなと思って「気をつけて帰って下さい」と告げて僕だけ降りた。オリタをにじみ出てそれでも髪割く小屋近く。モヤモヤした。ひたちそとなか黄色いろ。

 

ぐちゃぐちゃである。めちゃくちゃである。でもやっぱり共感してしまう。頭の中はいつでもぐちゃぐちゃで、自分でも何を言っているかさっぱり分からない状態で、それでも僕はあたかも秩序だった理性ある人間であるかのように電車に座る。自分が困らない範囲で、ぐちゃぐちゃな脳みその中から当たり障りのない整った言葉だけを選んで、結局目の前の困っている人のことを救えずに電車を降りる。僕がもしあの女性と一緒になって困っていたら、それを見た誰かが薬を持って来てくれたかもしれないけれども、僕は澄ました顔をして、中途半端に電車を降りた。電車を降りて、なんともやるせない気持ちになって、頭は一層ぐちゃぐちゃになる。

ぐちゃぐちゃなんだから、ぐちゃぐちゃなままでいればいいのに、それを表に出すのはとっても難しい。どうせ僕だって「クリームソーダ」や「ブンバボン」なのに、彼らのように堂々としているのはとっても勇気がいることなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は初めて「哲学カフェ」なるものに行ってきた。哲学というと何だか難しそうに聞こえるが、要はみんなでひとつのテーマをもとに自分の思っていることを話そうぜ!というものである。これがなかなか難しい。手を挙げる瞬間には「ぬおお、それについて思っていることあるぞ!」と威勢がいいのだが、いざマイクが回ってくると頭の中はやっぱりぐちゃぐちゃで、困り果てる。「しかしこのぐちゃぐちゃな状態を隠さずに伝えるんだ!」という気持ちでああでもない、こうでもない、と話してやっとこさ着地したら、初めの目標地点とは遥か遠く離れた地に不時着してしまった。周りの参加者の方々も温かい目で見守ってくれながら、「で、結局何を言いたいんだ」という反応を隠し切れずにいたようだった。

「いや、でもこれは『クリームソーダ』で『ブンバボン』なマインドで頑張った結果なんです……」

と言い訳しようかと思ったが、これ以上言うととかげさんのように愉快に爆発してしまいそうな気がしたので大人しくすることにした。

*1:「ブンバ・ボーン!」 NHKおかあさんといっしょ」より