Feasible Fever

現在、大学四年間の締めくくりの卒業設計として宇宙機人工衛星)の設計をしていて(させられていて)、これがまあなかなかに大変である。僕のいる航空宇宙工学科は工学部の中でもブラック学科と名高いらしく、9月の院試後からヒイヒイ言いながら仕上げた卒論をやっと11月末に提出したかと思ったら、ほぼ休む間なくこの卒業設計が始まる。毎週教授との試問があり、それに向けて学部4年生の足りない知識を総動員して色々と考えるのだけれど、「このミッションは結局何がしたいの?」「サンプル採取って書いてるけど、Feasible(実現可能)なの?」などなど教授陣から鋭い一撃を喰らう。年内最後の試問の終わりに「もちろんお正月もやってね」とサラリと言われた時になんとなく感づいていたが、本当に時間がない。スケジュールがInfeasibleではないか!と主張したいところだが、ぐっとこらえて地道にやっている。なにせ卒業がかかっているのだから意地でもやり通さねば。

 

宇宙のことを考えると途方もない気持ちになる。軌道計算なんかをしていると、「この楕円軌道の遠地点で4km/sだけ加速をして……」などという記述があちこちで出てきて麻痺してしまうが、4km/sである。1秒で4kmである。いや、どんだけ加速するねん。アラレちゃんか。日々血の滲むような努力をして鍛えに鍛えぬいたマラソンランナーたちが2時間もかけて走る距離を、宇宙機はすました顔をしながらものの数秒で通り過ぎるのだ。そしてそれほど恐ろしい速さまで加速しても、お隣の火星に行くのですら何か月もかかる。宇宙は広い。とんでもなく広い。そういうことを素朴に考えるともう、それはそれは途方もない気持ちになる。

 

高校の頃、塾の自習室に座っているのがたまらなくなって、しょっちゅう散歩(現実逃避)をしていた。荷物も持たずに駅前の道をぶらぶらしていると、色んな人が通り過ぎて行って、おばさんが買い物袋を提げてバスを待っていて、高校生が単語帳を見ながら歩いていて、サラリーマンがジャケットを片手に汗を拭っていて、そういう時僕は大体上を向きながら歩いていた。太陽があって、ああ、あれは本当は地球の何百倍も大きくて、何万キロも遠い位置にあるんだな、と確認して、その太陽に照らされた街路樹の葉っぱが風でキラキラと揺れ動くのを見ていた。そうやって自分の世界と宇宙とがつながっているのを実感すると、自分の命は宇宙のゴミにも満たない、ちっぽけでくだらないものなのだと気づくことができて、ホッとするのだった。それは多分悲しいことなのだけれど、僕はそのとき救われて、だから僕はその宇宙の途方もなさを愛しているんだと思う。

 

最近は卒業設計とかなんだかんだ忙しくて、大体は地面ばっかり見ながら歩いているけれども、自分のアパートの階段の最上段に上った時だけはなるべく空を見るようにしている。赤く溶ける夕焼けを見ながら、そうだそうだ、今僕は太陽系の内側から3番目の軌道に乗っている惑星の表面に立っているんだった、と確認をする。立ち止まっている時間は2秒間ぐらいだけども、随分と視野は広がる。忙しくなってもこの2秒間だけは守らなければ。