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あんまんのこと

午前0時をまわり、日が変わった。さっきまでいた「今日」はなかなかしんどかった。

 

自分でも説明のつかない感情というのはどうにも対処が難しい。今日は昼にサークルの友人ととても久しぶりに会って話して、それは別に楽しい時間だったのだけれど、どうにもそのあとずーっと落ち着かない。何か目に見えてわかる不安なことや悲しい出来事があったりしたならまだいいんだけど、特にそうでもないのに気持ちが落ち着かない時はなんともしがたい。卒業設計のミーティングの後パソコンに向かってもやっぱりそわそわして、散歩したりコーヒーを飲んだりするけれども落ち着かなくて、これはもう家に戻って作業しようと思って、家に帰る途中にコンビニで何か買おうと思うんだけども何買えばいいかよく分からなくて、ふとレジ横のあんまんが目に入って、ああそういえばあんまんってもう小学生以来食べてないかもなと思ってあんまんを買って、自転車に乗って帰って、家に着いて、ドア開けて、靴脱いで、電気つけて、暖房いれて、椅子に座って、あんまんかじる寸前にボロボロと涙が出てきた。自分でもよくわからないんだけども、なんだか涙がしばらく止まらなくて、あんまんは期待したほどおいしくなくて、それでも訳も分からず泣きながらあんまんかじって、それから少しだけ落ち着いた。

 

そのあとは頭がぼーっとして、何も手につかないからとりあえずギターを弾いたりYoutubeを見たりネット記事を読んだりしていると、今日は1月17日だった。阪神淡路大震災から22年を迎えたらしい。それを知って、なんだか妙に納得してしまった。ああ、それだったか。別に霊感とかがあるわけでもないけど、この今日の落ち着かなさはそういうことかなと思った。思うようにした。

 

阪神淡路大震災が起こった時、僕は0歳だった。といっても僕は福岡で生まれて、小学校から西宮に引っ越したので震災を直接経験したわけではない。被害が大きかった地域も、僕が引っ越した時にはもうすっかり復興していて、普段の生活をしている分には数年前に大災害が起こった場所であるという意識は湧いてこなかった。けれども毎年1月17日になると学校では全校集会が開かれ、生徒全員で黙祷をし、授業では震災についてのビデオを見せられた。生徒の中には震災の直前・直後に西宮で生まれたという子もいて、母親は死に物狂いで我が子を守ったという話も聞いた。

 

高校に上がって、阪神大震災について学校で学ぶ機会は減った(高校一年の時に東日本大震災があって、阪神大震災がついにひと昔前のものとなりつつある風潮もあったのかもしれない)。大学生になってからは東京にいるし一人暮らしでテレビもあまり見ないしで、ここ三年は震災の日を意識することも少なくなっていた。いま大学四年生にして、再び思い返す。

 

午前0時をまわり、日が変わった。少し遅れてしまったけれども黙祷を捧げることにした。じっと目を閉じて立つ。

小学校の頃、先生が黙祷の合図をして全員が目を閉じ、空気がすっと静まり返る。30秒だったか1分だったか、普段やんちゃしている奴らもみんな、その時間だけは一切の物音を立てずに小さな祈りを捧げる。そういう時間だった。うん、あの日から随分と時間は経ったが記憶はまだ残っている。

部屋でひとり黙祷を終えると、ずいぶんと気持ちは落ち着いていた。

 

 

 

 

 

懐かしのあんまんかじる寸前の

「今生きている」

あんまんかじる

 

 

 

 

 

さっきまでいた「今日」も、なかなか良い一日だったのかもしれない。